NoMad • Flatiron ノマド • フラットアイアン
フラットアイアンの紹介は近日公開予定
NoMad ノマド
左:5th Aveから見るFlatiron方面。写真中央はThe Grand Madison
右:歴史的保存地区に描かれた、NoMadの歴史的要素をちりばめた壁画
場所と概要
ノマド(NoMad)という呼称は 2007年から広く知られるようになったもので(経緯はこちら)、“North of Madison Square Park” の略、つまりマディソンスクエアパーク中央部から北のエリアを指します。南北は25丁目から30丁目まで、東西は 6th Aveから Lexington Ave までの範囲です。東は Lex より手前とする定義もあり、実際のところ、Lex まで行くとノマドらしさが薄れ、単にミッドタウンイーストと考えた方が良さそうです。ノマドらしいのは Park Ave 付近までです。
ノマドの南隣はフラットアイアン、北はコリアタウン(Madisonより西側)とマレーヒル(Madisonより東側)です。西はチェルシーで、東はキップスベイです。
19世紀半ばから20世紀前半にかけて大邸宅が多く建設されたのに続いて、賑やかなサロン的な場として栄えた伝統がありながら、半世紀前は雑多な卸売業が集まり、一般の人に魅力がない状況に陥りました。今世紀に入る頃に再び、住宅(コンバートしたものと新築も)、レストラン、その他の商業店舗、オフィスが再び適度に混じり合い、新興テクノロジー企業も多くオフィスを構える、魅力的な職住近接エリアに変貌しました。
現在、ノマド側は住宅の他にはホテルやレストランが、フラットアイアン側はどちらかと言えばオフィスや各種商業店舗が多いようです。
歴史的変遷
マディソンスクエアパークの周辺には、19世紀中頃から名士や裕福な実業家、例えばイギリス元首相チャーチルの母方の祖父母らが、大邸宅(英語の意味通りの「マンション」です)に居住しました。そしてアメリカが発展した20世紀初頭にかけて、有名レストラン、ホテル、オフィスが増え、観光客のみならず文筆家やビジネスマンなどのエリートが集うエリアになりました。
しかし次第に歓楽街と化し、住宅地としての良さが減退しました。20世紀中旬から後半にもこの地区の後退は続き、公園周辺の建物に空きが増えたほか、Broadway の周辺は香水、宝飾品、衣類、雑貨、土産物を取り扱う多数の輸入・卸売商が占めるようになりました。その裏返しに、一般消費者向けの小売り店舗は今ほど多くなかったようです。
現在のように利便性が高く、安全で、憩いのある地区になったのは、2001年にニューヨーク市と City Parks Foundation が 1,100万ドル(約12億円)の基金を集めて 新しいNPO を設立し、マディソンスクエアパークを大掛かりに再整備してからのことです。
上の1, 3枚目の写真に見える壁画は、ある商業不動産会社が有名壁画アーティスト Tristan Eaton を起用して 2019年に制作したもの。歴史的保存地区であるため、NY市に プロポーザル を出して認可を受けています。絵にはノマドの歴史を象徴する様々な意匠がちりばめられています。特に一番大きく描かれた女性 Evelyn Nesbit については こちらの記事 が参考になります。
歴史的保存地区
ノマドの西半分の、Broadway と Fifth Ave を中心にした一帯は歴史的保存地区 Madison Square North Historic District です (リンク先の地図を参照)。ランドマークに指定された建物がいくつもあり、3つ星から 5つ星のホテルが多いことも特徴的です。オフィスや、高級レストラン(小さなエリアですがミシュランで星を獲得したお店が5つ)、ニューヨーカーが賑やかに過ごすレストランがあり、またレストラン以外の消費者向け商業店舗も多数入っているため、活気と多様性を感じます。イタリアの大手出版社である Rizzoli の書店があるのもこの歴史的保存地区です。住宅には、ホテルだった歴史的建造物を今世紀にコンドミニアムにコンバートした例もあります。
29丁目と Fifth Ave の、歴史的保存地区の境界付近には、各種ファッションブランドのサンプルセールが行われる場所が複数あります。ノマドには広いロフトの商業スペースがあり、デザインやテキスタイルの会社が多く、さらに昔は賃料がユニオンスクエアやウェストビレッジほど高くなかったため、今もサンプルセールの会場となっているようです。
28丁目の Ace Hotel の一階に 2012年からあったメゾンキツネは、パンデミックの影響で閉店してしまいました。
歴史的保存地区の北西隣 6th Ave ~ Broadway
ノマドの北西側、特に南北は 27丁目から 30丁目の間、東西は Broadway から 6th Ave の間は、前述のような小さく雑多な輸入商・卸売商が軒を連ねています。何十年か前から時が止まっているかのようですが、昔はもっと多かったそういった店が、ノマド内ではその付近だけに残っている、という理解が正しいようです。卸売商は、現在はノマドの外側の 6th Ave や Broadway をコリアタウンに向かうエリアでまだ多数営業しています。
歴史的保存地区では不動産開発が困難なため、開発は保存地区のすぐ外側で起こりがちです。保存地区のすぐ西隣の Broadway 沿いに、リッツカールトン(Broadway & 27th St の北西角)が2022年7月に開業し、バージンホテル(Broadway & 30th Ave の南西角)も12月に営業開始の予定です。この近辺には他にも、ルーフトップやレストラン・カフェを備えた新しい高級ブティックホテルがあります。また、Ace Hotel の東側の 28丁目 Broadway と 5th Ave の間には、ニューヨークで生まれ育ったフレグランスブランド Le Labo が 2013年末から店舗を出しています。
この地区が人を呼ぶ場所、人を集められる場所として認識されていることは明らかです。
歴史的保存地区の東隣 Madison Ave ~ Park Ave
Fifth Ave から東に進むと、ノマドの北側ほど歴史的保存地区から早く外れます。そして Madison Ave の東まで行くと、歴史的保存地区が完全になくなります。Park Ave がノマドを通るエリアは Park Avenue South と呼ばれ、大通りなだけに高級住宅やレストランが再び多くなります。レストランには、Sarabeth's や、季節によって名前を変える Park Avenue Spring、そして日本にもオープンした Scarpetta がおなじみです。また、NoMad からぎりぎりで外れて Flatiron に区分される場所には、ニューヨークで最高峰のレストランと称される Eleven Madison Park があります。
マディソンスクエアパークの北東角付近の、金メッキされた多角錐の構造物を冠した New York Life Building は約100年前の建築物ですが、ライムストーンの外壁が今も美しく、生命保険会社の本社として現役で使われています。2007年に 2万5千枚のタイルと最上部のブロンズの燭台に金箔を貼り直す修復工事 が行われました。
マディソンスクエアパーク ~ シェイクシャックとその前身も発展の鍵
この公園はワシントンスクエアパークの約三分の二の広さがあり、芝生の上や、小径沿いの多数のベンチでくつろいだり談笑する人々が大勢います。古くからノマドに住む人によれば、十数年以上前の公園は今ほど十分安全な感じがしなかったとのことですが、現在では往時が想像できないような憩いの場となっています。ドッグランが設置されています。
マディソンスクエアパークの再開発には、Shake Shack の創業者であり多数のレストランを経営する Danny Meyer (ダニー・マイヤー)が大きく貢献しています。Meyerは、市と連携して公園の再開発を推進するNPOである Madison Square Park Conservancy の創立メンバーの一人です。2000年、Meyerは、公園再開発の一助としてホットドッグカート(つまり移動式の売店)を公園に設置することを提案しました。食材は Meyer がすぐ近くで経営するレストラン、Eleven Madison Park のキッチンから持ってきました。このホットドックカートは大人気を博して3年間続きました。その後、ニューヨーク市は後継としてKiosk形式のレストラン(つまり調理・販売するだけのお店で、席は公園を利用する)を公募し、2004年に Shake Shack が誕生しました。名前の "Shack" は、一号店の形態に由来するのでしょう。
Eataly(イータリー) が公園のすぐ西にオープンしたことも、安全で活気ある地区への変貌に一役買ったと思われます。加えて、もともと周囲に一流の美しい歴史的建築物があり、それらが現役で使われていたことも、発展を促す原動力となったことでしょう。(例えばブルックリンのダウンタウンがそうで、しっかりした現役の歴史的建造物の周りに商業施設が増え、新旧の建物・文化・住人層が程よく混じりながら活気が生まれ、新しい住宅も増えていきます。)
毎年ホリデーシーズンに地域のNPOの企画で Flatiron North Public Plaza に芸術作品が展示されます。公園南の広場 Flatiron Public Plaza では Flatiron Green Café が営業しています。
地域を支える NPO のウェブサイト
地域の振興を目的とする NPO が活動し、ウェブサイトで地域の魅力やイベントを発信しています。
- The NoMad Alliance experiencenomad.com
- Flatiron/23rd Street Partnership flatirondistrict.nyc
上で取り上げた、マディソンスクエアパークの整備・保全を行う NPO です。
- Madison Square Park Conservancy madisonsquarepark.org
ノマド • フラットアイアン の賃貸空室情報は こちら
2022年11月14日 最終更新
「ノマド」という名称の起源
2010年4月8日付の New York Magazine の記事 "Soho. Nolita. Dumbo. NoMad ?" に網羅的な説明があり、他より信頼できそうですので解説を加えてご紹介します。
1999年8月に New York Times が初めて 'NoMad' という呼称を用いた記事 "The Trendy Discover NoMad Land, and Move In"(archive.orgにリンク)を掲載しましたが、それは同紙の記者が生み出したのではなく、当時一部で使われていた呼称を取り挙げたものだと、New York Magazine は説明しています。「New York Times が生み出した」と書いた情報も一部でありますが、New York Times の当該記事を読めば、ファッション業界で勤務する人々の間で NoMad という言葉が使われており、職場に近く住むにも良いという理由でそのエリアが好まれていたことが分かります。
さらに New York Magazine は、上記の New York Times の記事が出た後も NoMad の呼称が一般には普及しなかったことを裏付けるエピソードを書いています。例えば、New York Times は 2001年に、「NoMadという名称は定着しなかった」という不動産エージェントの意見を掲載しています。2007年にもまだ、Madison Ave沿い在住の著名な演劇批評家が「この地域には残念ながら名前がない」という記事を書いています。
NoMad の名がついに広まったのは、2007年に実業家が今の Ace Hotel の建物を買収し、ホテルにコンバートしてオープンした時からです。その実業家は、従来から NoMad という名称が一部で使われていたことは知らず自分が考案したと主張しています。その真偽はともかく、Ace Hotel の宣伝に「新しく確立された NoMad 地区」「NoMad には高級住宅、小売店、クリエイティブエージェンシー、有名レストランが多数」と宣伝したため、ついに一般に浸透しました。
NoMad の東側を、随分古い地名の Rose Hill を復活させて呼ぶ動きもありましたが、NoMad が浸透する速さに及びませんでした。