NY州の「家主側エージェントが借主から仲介料を取ることを禁止」した命令は無効に
ニューヨーク州は2020年1月に、2019年の改正賃貸法を補うガイダンス(法解釈に相当)として、「貸主を代理する不動産エージェント(Landlord's Agent)が、借主から仲介手数料を受け取ることを禁止する」と発表しました。
これに対し、ニューヨークの不動産業界団体が「ガイダンスには法的根拠がない」として訴訟を起こしていましたが、2021年4月9日の判決により、上記ガイダンスの無効が確定しました。
このガイダンスについては、ニューヨークタイムズが極めて不正確で誤解を生む報道を行い、東洋経済はその翻訳を原文よりかなり強い「デカい衝撃」という言葉さえ見出しに使って日本の読者に紹介し、多くの方に「全て無料になる」という誤解を今でも与えています。当チームのこのコラムでは、ガイダンスが正しくは何を意味したのかから始めて、ニューヨークシティの不動産仲介料を正しくご説明します。
後日談として、2022年に東洋経済新報社に問題提起した際の同社の対応も掲載しました。
2023年7月20日 最終更新
ガイダンスの意味
ガイダンスの背景として、米国の不動産エージェントには、貸主(または売主)の代理と、借主(または買主)の代理の二種類があり、原則として日本でのように両者を兼務することがないという事実があります。上記ガイダンスは、このうち貸主側不動産エージェントの仲介料を規制しようとしたものです。
これが問題になるのは主にコンドミニアム(個人投資家所有物件)の貸し出しです。ニューヨークでは、個人投資家が自身が雇った不動産エージェント(その業務は物件の広告とテナント付けです)に報酬を支払わない場合が多く存在します。その場合、貸主側エージェントの報酬を借主が仲介手数料として負担し、借主側のエージェント(Tenant's Agent)の仲介手数料と合わせて、年間家賃の 15% にあたる仲介料を負担する慣例です。(それを貸主のエージェントと借主のエージェントが 7.5% ずつに折半します。)
ガイダンスが出てすぐに、New York Times が借主側不動産エージェントと貸主側エージェントを混同した不正確な報道を行いました。それを東洋経済が 「ニューヨーク『不動産仲介料廃止』のデカい衝撃」 という記事にし、日本語の世界でもニューヨークの仲介料がなくなったかのような誤解が生まれました。
ガイダンス無効の判決理由
2019年に改正された法律に、州のガイダンスを裏付ける条文が一切なかったことが無効の理由です。法廷では、立法した議員が次のような証言を行いました。「2019年の法律が意図したことは、貸主が申込者から申込手続き、クレジットチェック、バックグラウンドチェックなどの名目で多額の費用を徴取することの禁止であり、それ故に、仲介手数料についての記述は(禁止対象として)入れていない」ということです。
もしガイダンスが有効になっていたら?
もしこのガイダンスが認められていれば、当チームにご依頼頂いた場合、投資家所有コンドミニアムの仲介料は必ず家賃1か月分になっていました。(現在は家賃1か月分、または家主側エージェントの仲介料が加わった年間家賃の15%のどちらか)
とはいえ、COVID-19で1年以上も不動産市場が一変した影響により、家主が自身のエージェントの報酬(仲介料)を負担するケースが増えました。そうしないと物件を貸せなくなったからです。但し、不動産需要の回復により、また事情が変わる可能性があります。
2022年、東洋経済にオンライン記事の問題点を指摘してみました
2022年6月上旬、東洋経済新報社 (以下、「東洋経済」) に対して、問題のニューヨークタイムズの記事の翻訳『ニューヨーク「不動産仲介料廃止」のデカい衝撃』(左のリンク先は archive.org 上のアーカイブです)が発表当時でも誤解を生む内容であったことや、現在では完全に誤りであること、従って追記または取り下げの必要があると問題提起しました。具体的には次の通りです。
- 翻訳対象の New York Times の記事 ("Surprise for New York Renters: No More Broker Fees." 2020年2月5日初回掲載) 自体が誤解を招く内容。貸主の代理人だけに当てはまる仲介料の話を「不動産会社全ての仲介料」と読めるように記事全体で説明し、借主側の不動産会社は別であることは一か所「ただし入居予定者が家を探すために不動産業者を雇った場合はこの限りではない」と注釈があるのみ。実際に以前より、賃貸住宅探しを不動産会社に依頼する方は仲介料を払っていた。(但し、家主が仲介料を肩代わりするインセンティブを出す場合は除く。)
- ニューヨーカーなら上の記事でもまだ事情が分かる人もいるが、不動産エージェントの役割が米国のように家主側と借主側に分かれていない日本の読者には情報不足のため全く真相が理解できず、どの場合でも仲介手数料が無料になるとしか読まない。(注 : 実際、記事をそのように受け取ったご駐在のお客様がいらっしゃいました。)
- 問題のNY州のガイダンスは2021年の裁判で無効と確定したので、記事は現状の説明としては誤り。
- このように問題がある記事でありながら、Googleで「ニューヨーク 賃貸 仲介料」などの語句で検索すると検索結果の上位に表示される。記事の取り下げか、その後の経緯の記載が必要ではないか。
なお、ここでは指摘しませんでしたが、元記事の見出しの "Surprise" を「デカい衝撃」と訳したのは、必要以上に強く俗な言葉で話題を煽り、アクセスを稼ぐ効果を狙ったと思われます。
「お問い合わせを受け付けました[問合せ番号: 220600006] 」という自動応答から1か月待っても返答がないため、Eメールで確認を求めたところ、「サポート担当」と名乗る人から次の返答がありました。
- ご指摘の記事はニューヨークタイムズの記事の転載のため、恐れ入りますが、ニューヨークタイムズ社にお問い合わせいたけますでしょうか。ニューヨークタイムズ社で変更される場合、弊社でも検討させていただきます。
ニューヨークタイムズの翻訳であっても、日本向けにそれを選んで転載したからには、普通のマスメディアなら記事の使い方や全体の報道の仕方を考えると思いますが、この回答にはそういう姿勢が見受けられません。法律の解釈が決定するまでの短い期間の出来事だけを日本国内向けの翻訳記事にし、それを放置するのと、その後の重要な変化を報道するのとでは、大きな違いがあります。そもそも、ガイダンスが無効になったことや、ニューヨークタイムズがその後も本件を報道したことを東洋経済は把握していたのでしょうか。次のように論点を明確にして「担当」氏に返信しました。
- 第一に、元の記事が誤解を生む内容でも翻訳の掲載なら構わないとするのはおかしいのではないでしょうか。私は特に、米国の不動産事情を全く知らない日本人が読むとなおさら誤解を生むことを問題視しています。翻訳を取り下げるかどうかや、注釈をつけるかどうかという点には、掲載した御社のマスメディアとしての判断があってしかるべきと思います。
- 第二に、もっと重要なことですが、ニューヨークタイムズは当該記事の取り下げはしていないものの、同じ記者が法律を追って何度か記事を書いています。特に 2021年5月の記事("Broker Fees Are Here to Stay. Why Do They Even Exist?")で、貸主側の(←こうきちんと明記されたのも最初の記事からの改善です)仲介手数料が合法という決定がなされたことを伝え、賃貸プロセスについても説明を書いています。この記事も不動産関係者から見ると包括的ではありませんが、ニューヨークに住んでいるなら分かっている人はいるでしょうし、ニューヨークタイムズは記事に読者からコメントがつけられますから、内容の良し悪しについて判断の手掛かりがあると思います。
- ニューヨークタイムズは続編記事により、今の正しい法律の運用を報道しました。それに倣えば、御社のウェブサイトでも、新しい情報を追記したり訂正を入れるか、同記者による最新の記事を翻訳転載し続けるのが妥当ではないでしょうか。ニューヨークの法律の解釈が曖昧とされたごく僅かの期間に出た元記事だけを翻訳掲載し、転載だから責任はない、その続編は報道しない、という姿勢には納得できません。それにより現実に誤解をする日本人はたくさんいるはずです。
これに対して、東洋経済から初回よりは長い次の返答がありましたが、姿勢と結論は同じでした。
- 本記事を掲載した時点では法律は変更されていないので間違いはございませんし、そもそも法律変更前の記事がアーカイブとして残っていることは通常ございます。 「執筆・掲載した時点で正しい情報」なのであって、そこに間違いがない限り、問題がないと考えます。そのため記事には配信年月・日時を明確に記載しております。
- また、本記事はニューヨークタイムズ社と当社との契約に沿って翻訳版を掲載しており、同社の断りなく記事に改編を加えることは重大な契約違反となります。 繰り返しますがニューヨークタイムズ社が元記事を修正する、あるいは追記するなどの判断をするのであれば、それに沿って当社も対応いたします。
- どうしても納得がいかないのであれば、ニューヨークタイムズ社と交渉等進めてくださいますようにお願いいたします。そこに進展等がない限り、本件について当社として、これ以上の返答・対応は難しいものと考えております。
どれも回答になっていませんし、理由が論点からすり替えられています。
- 一つ目の、「本記事を掲載した時点では法律は変更されていないので」の下りは全く回答になっていません。ニューヨークタイムズは、はじめの報道から1年3か月後に、州の法解釈が完全に覆されて決着したことを報道しています。一方、東洋経済は、法律の解釈が決まっていなかった過渡期の記事だけを掲載して放置しています。記事に日付があろうと、その後に日本語の報道が続かなければ、日本の読者が当該翻訳記事を最新情報だと思い込むことは十分にあり得ます。東洋経済の報道姿勢はニューヨークタイムズのそれとは全く違い、無責任です。
- 二つ目の、「また、本記事はニューヨークタイムズ社と当社との契約に沿って翻訳版を掲載しており、同社の断りなく記事に改編を加えることは重大な契約違反となります」の箇所は論点のすり替えです。私たちは翻訳記事を改編してほしいとは一言もお願いしておらず、東洋経済として何らかの方法でコメントを付けるか、その後の経緯をきちんと報道する、あるいは最新記事の翻訳を掲載することで日本の読者に正しい情報を提供できるよう善処できるはずと申し入れています。また、今となっては誤りとなった記事しか掲載していないのにそれを取り下げないことは、ニューヨークタイムズの契約とは関係がないことです。東洋経済は翻訳記事を掲載する権利を有するだけであって、記事を掲載しない自由があるはずです。
- 三つ目についてはもう自ずと明らかですが、ニューヨークタイムズはこのトピックを追いかけて最新の状況を報道しているため、最初の記事を削除することはないでしょう。続編が最初の記事の存在を前提にして書かれていることからも、それには合理性があります。にもかかわらず、東洋経済が私たちにニューヨークタイムズと交渉をしろというのは、あまりに投げやりで、暴言に等しいのではないでしょうか。
東洋経済からの回答のどこにも、正常な議論のベースとなる理由や良識が見当たりません。「"担当"の方でなく、より良い判断ができる上席の方とお話がしたい」とお願いしましたが、予想通り返答はありません。上記のような理由になっていない返答は、端的に言って東洋経済の理性的な全読者をないがしろにしています。誤った情報を掲載したこの記事を単独で、一体何のために公開しているのだろうかという疑問が残ります。
参考 《 「東洋経済オンライン」衝撃の内部告発 》(週刊文春 2017年)

今回の判決が当チームの業務に及ぼす悪影響はそれほど大きくないと考えられるものの(ご依頼頂いた後に勘違いをされていたと分かるケースは少ないものの、たまに存在します)、日本の皆様の関心が高いであろうことと、「借主のお客様の代理人(Tenant's Agent)」 としてお手伝いする弊社の仲介サービスをより良く理解して頂ける一助になればと考え、コラムにしました。